将来やりたいことが大まかにしか決まっていない君たちへ。①災害体験編
現在時刻19:18で20:00までにブログを書き終えたい。
(編集後コメ:書き終わっててちょうど20:00になりました)
さて昨日は地方に来た意義がどうこう語りました。地方のいいところもう少しありましたので紹介します。デパ地下の混雑率がちょうどいいという所でしょうか。今日は昼食の代わりにメロンパンと惣菜コッペパン2つを購入しました。それを頬張りながら駅までお散歩しました。
さあ本日の題材は昨日の続きではなく、将来やりたいことが大まかに決まっているが具体的に何がしたいのか決まっていないという人たちへ向けての文章を綴りたいと思います。
みなさんは大まかにでも将来何がしたいか決まっていますか?僕は現在B2(学士課程2年)ですが、いまだに大まかにしか決まっていません。しかし最近打開することができまして、ある程度何がしたいか決めることができるようになってきました。
自身の周りを見渡すと、建築関連に進みたいとか、コンサルがしたいとかいろんなお友達がいるのですが、まだやりたいことが全く決まっていないというお友達がいます。非常に心配ですが、僕の成績の方が心配なので僕が心配なんてお門違いですね(失笑)。
僕は近い将来土木系で防災関連の仕事に就きたいと考えています。その中でも具体的な案がなかなか思いつかずにいました。経緯を話すと大変長くなりますが、みていただければ幸いです。
僕が土木系で防災関連の職を志すようになったのは高校2年の秋頃です。防災関連の職に就きたいと考えていましたが土木系ではなかったです。最初は医師になりDMAT隊員として活動したいと考えていました。救急救命医になりたかった僕ですが、簡単な話成績不振で諦めざるを得ない状態に(爆笑)。なんとかしていい感じに言い訳を考えて新しい道を模索していました。
そこで思いついたのが、「そもそも災害の規模が小さくなればいいのでは?」という考えでした。したら「DMATあんま活躍しなくても大丈夫じゃんか」と。DMATがフル活動しているなんて一大事ですからね。彼らも”そういう意味”では活動したくないはず。
そしたら僕は防災の仕事に従事して、そもそもの災害の規模を小さくするような対策を取ればいいのではと思うようになって土木系を志すことになりました。防災というよりかは減災に近いですが、総合して防災と言わせていただきます。
ではなぜ防災関連の仕事に就こうと思ったのか。これは僕自身が水害を経験してしまっているからなんですね。皆様は記憶に残っていますでしょうか。令和元年東日本台風を覚えていますか。2019年台風19号が東北地方および関東甲信越地方に甚大な被害をもたらした災害です。僕の家は床上80cmの浸水被害に遭い、1階部分が壊滅的な状態となりました。
当時の状況を解説します。川が氾濫して水が家の玄関寸前まで来ていました。扉を閉めましたが、それを非常に強い力で押されてリビングや洗面所の床下点検口からものすごい音と共に濁水が流れてきました。一瞬で水位が上がり流されて死んでしまうのではないかという恐怖に駆られて必死に足を回して2階に避難しました。
2階に着いたものの2階のTVは停電で映らないし、頼りになるのは単三電池2つで動くラジオのみ。そのラジオでNHKを流していましたが、そのラジオから僕の家周辺の情報は流れず、明日の朝まで情報を待つしかありませんでした。
翌朝目を覚ましてみると、友人からものすごい数のLINEが入ってきていました。TVが映る友人から伝えられたのは「僕の家の上空からヘリで中継がされていてる」と。それをLINEで見せてもらいやっと僕が住んでいる街の状況がわかりました。壊滅です。
大水害が発生した晩、近所で大爆発したような音が聞こえ、何があったのかヘリ中継で確認すると...。
近所の農業専門店が大爆発を起こし、黒煙、異臭と共に大炎上していました。
おそらく混ぜてはいけない農薬が混ざってしまったのでしょう。それによりしばらくは異臭との戦いでした。水位が下がったことを確認するとなんと信じられない光景が...。
1階のTVがひっくり返り、大人一人でも動かすのが難しいソファーが横転、大切なものは全て泥まみれにされてしまいました。外に出てみると一面が異臭を伴った泥だらけ。車には当時の最高水面がわかるラインがびっしり残っていました。平穏な日々が壊され、絶望した瞬間でした。
あの恐怖をもう誰にも味わってほしくない。災害から日本を守るのはこの俺だ!と言わんばかりの正義感で、それから結果的に土木系の道に進むことを決めたのです。
その当時は被災したインパクトからか、実際にどのようなことをして防災に取り組もうか考えずとも、気がついたらペンを握り一生懸命に勉強していました。しかし家が治ってきて少しずつ家に平和が戻ってきて、大学受験に差し掛かった時に僕は迷います。
「あれ?俺って防災をしたいけど具体的にはどんな防災がしたいんだっけ...。」
将来やりたいことが大まかにしか決まっていない君たちへ。②結局何がしたいの?編へ続く。
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地方にいる意義
途中から面倒になってブログを考えるのをやめていましたが、人生での悩みと言いますか、行き詰まるところがあるので、なるべく上手に言語化していきたいと思います。
まず初めに私の出身は関東で東京にも程近いところに住んでいました。しかし大学は地方に進学。現在は西日本寄りの地方に住んでいます。JRは西日本が管轄の区域です。花の大学生活、しかも国立という最高のキャンパスライフが待っていると思いきや、最近悩みが出てきました。
それは、、関東が恋しいということです。なんやただのホームシックか。ならいいんですよ別に。「頑張って耐えてね」でいいんですけど、何か違う感情が芽生えている気がするんですよ。この正体をうまく探っていきたい。
【嫉妬の可能性】
私の住む地方ですが、首都圏のような賑わいや人、電車、車の流れがありません。また自慢ではないですが、私の通っているところがその地方では最高学府でして、都内のように同じような学力を持った大学がたくさん存在してるなーんてことはないのです。そうすると他大と勉強の話が合いません。一緒に勉強したりすることができません。そういう意味で正直悔しいところから嫉妬につながっている可能性があります。
今月年始に1回、なぜか友達に呼ばれてノリで1回関東に帰っていますが、やはり利便性ややっているお店の数等を比べると、やはりこっちの方がいいなと思う自分がいます。
そう言ってても今は大学2年生で次3年生になるので、あと2年は最低でも通わなければなりません。そうすると戻るチャンスは院進のみです。院進すれば良いのです。しかし下に2人かわいい弟妹がいますから、今回と同じような国立の大学院へ行くしかありません。
したらこの2年間都会への憧れを持つだけで生活したらいいのかと考えると、絶対そうではありません。この大学の4年間ほど人生で重要な部分はないでしょう。すでに半分は終わっています。正直そういう意味では焦燥に駆られている自分がいます。したらどうすれば、より有意義な地方生活を送ることができるのか考えていくことにしましょう。
したら地方のいいところをなんでもいいので挙げてみます。
・家賃安い
・車持っても駐車場代安い
・スーパーやコンビニに車で行ける
・みんな行くところ一緒なので友人によく会える。
・ひとり暮らし率が高いので、宅飲みが容易
・家賃安くてもそこそこ広い家借りれる
・交通量があんまり多くないので、車の運転練習も容易
・日本でも結構有名な観光地の近くに住んでいるので、羨ましがられることがある
・治安が良い(変なことしてる奴いないし、高架下にホームレスとかいない)
・キャッチがいてもしつこくない
次に嫌な部分を挙げてみます。
・電車がない
・バス移動だが金が飛ぶ(駅まで400円近いの無理だろ)
・チャリで簡単に移動できる距離じゃない
・大きな駅行かないと何もない
・みんな行くところ同じだから人に会いたくない時に限って会ってしまう
・車ないと不便
・東京まで夜行バスで8時間
・終バスの早すぎる(駅からの終バス21時台ってなんやねん)
・バス定刻で来ないことが多い。きたら雪降るんちゃうかってレベル
・夜までお店がやってない
・急に飲みにいきたくなってもどこにもいけない(バスと店ないんで)
まあこんなところかなと。本当は両方共にもう少しあるかもしれないですけど。
あんまり良いヒントにはならなさそう...。
敢えて地方に来たはずなのにこんなこと言ってて正直悲しいですが...。どうしたら良い地方ライフを満喫できるのか。2年住んでてなにもわかってないのマズイですよね^ ^
まあ本当はわかってて、それを忘れてしまっているだけかもしれないですけどね。
それであることを祈るばかりですが。
うーーーーーん、、ぜんっぜんうまく考えられない。どうしたものか。結構がんばって考えてはいるんですけどね、次回作の指針だけ提示して本日は一旦失礼します。
【次回】地方と都会を両方経験していることによってどんな良いことがあるのか
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また次回作でお会いしましょう。それではみなさん良いキャンパスライフを。